日記

今日は一日、松本茜『フィニアスに恋して』で明け暮れた。津軽三味線の稽古もしたが。
Ustream放送したが、どういうわけか録画機能に障害があり、録画がどうしてもできない。のみならず雪江さんも用事で離脱ということで、自分も放送を止めた。放送する意義を感じないこともあり、もう放送を止めようかとも思っている。特に前田さんがいなくなってからは、虚しさが強い。まだ聴いてくださる方もいるが、有意義な情報を提供できないので悩む。攝津ファンなど世界に一人もいないのではないか、と思う。それでいいのだ、とも思う。真哲君は2ちゃんねらーは攝津ファンと言っていたが、そうは思えない。2ちゃんねらーは、私が働きもしないで労働者を利用しようとしている、などと言い立てているが、単なる誤解である。そういう事実はまるでない。私の立場は「惰民で悪いか?」に明らかであり、あれは労働者の政治利用などからは全く懸け離れたものである。
今日は久しぶりに、NHK FMでジャズ・トゥナイトの放送があり、23:00からだが、今からもう、楽しみにしている。それにしても、CDが欲しいという欲望を抑えることができない。
話が飛ぶが、夕方にもまた眠り込んでしまい(嗜眠症か?)、セクシュアルな夢を見て夢精しそうになったのだが、結局夢精はせずに起きて、覚醒してしまうと、またいつもながらの性的不能だった。夢の中でしか性的にアクティブになれないなんて、どういうことだろうか。夢の中で、性的な享楽に近付く気がするが、それも阻まれてしまう。致し方がないが、私は性的な享楽を得る能力がないということだ。
nakachiyamiさんは宮下公園の夏祭りなのだろう。楽しめるといいですね。自分は都内に出られず、残念。それにしても、私というキャラは、「退屈極まりない」のではないか? 雪江さんもコーヒーと夕方さんも、私という人間の本質的な退屈さ、無味乾燥に気付いて去っていったのではないか? そう思うといささか寂しい。だが致し方がないことである。