凡庸な絶望者

老母と二人、マルエツ二和向台店に半額の食材を漁りに行ってきた。道中、「自分は凡庸な絶望者である」ということをずっと考えていた。自分が「死という解放者」の到来を待ち望んでいる、ということも。
自分には才能や未来、可能性がまるでない。今後に実現すべき理念もない。いかなる意味でも状況に関与してはいない。単なるひきこもりである。というふうに考えていると、自分には「今」を生きる意味がない、その資格がないと思えてくる。
政治・経済・文化、そのいずれの意味でも状況に関与せず、変革に関与しない。ただ呼吸して飲食して排泄するだけである。そのような機械的、動物的な堕落した生存は人間的なものとは到底いえない。無意味そのものである。私の生そのものが無意味で無価値である。だが、嗚呼! そんなことはとっくの昔から分かっているのだ。