マックス・ヴェーバー

私は、マックス・ヴェーバーに無知ですが、神沢敦子さんの日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1613324201&owner_id=86025)に付された「ファシスト」ガイスト@千坂恭二さんのコメントには興味を惹かれました。以下にコメントの全文を転載します。

 社会学者のマックス・ヴェーバーは、社会の変革は革命家によってなされるが、革命家とはカリスマ的な存在であると述べ、カリスマとは生計が(つまり収入源が)はっきりしない、言葉を変えれば神秘的な存在であると述べています。収入源がはっきりすると、彼の社会的属性が分かり、彼から神秘性が失われカリスマではなくなるからです。収入源がはっきりしないということは裏を返せば、カリスマとは無収入で食えないことでもあります。革命家にもプロの職業革命家とアマの活動家がいますが、カリスマ度が高いのはプロの職業革命家です。するとここに不思議な事態が生じます。プロの職業革命家は、にもかかわらず、無収入に近く食えないということです。では彼はどうして食っているのでしょうか。ヴェーバーによれば、贈与や略奪で食っているとのことです。現代風に分かりやすくいえば、贈与は、ヒモ、生家の資産の食い潰し、生活保護、カンパあたりで、略奪は犯罪行為でしょうか。
 このヴェーバーのカリスマ定義は、精神的な価値表現に関係した宗教家や思想家、各種表現者(芸術家、作家など)についても部分的にいえると思います。大学がまだ一部エリートの機関であった19世紀では、どんなに優れた思想家でも、大学という一種の生活保護機関によって教授として需要されなければ、食えない流浪の身にありました。マルクスはまったく食えませんでしたし、ニーチェもまともに食えてません。シュティルナーは餓死しています。ワーグナーは晩年にバイエルン国王というスポンサーの登場で助かりましたが、それまでは膨大な借金でヨーロッパ中を逃げ回っていました。
 資本主義的な商品として売れるか売れないかに関わりなく、自己の精神性や何らかの価値を表現しようと思うのであれば、プロとかアマなどはどうでもよく、別に収入源を探せば良いだけの話です。私が20代の頃など、知り合いの前衛舞踏の女性たちは、ヌードダンサーやクラブのストリッパーをしていましたが、私も以前にコピーライターという副業をしたことがありました。自分でも驚くほどの高収入で、思想家がいかに食えないかという現実の裏を見たことがあります。頭がアホになるということでコピーライターは数年で辞めましたが、ヴェーバー的な贈与が不可能ならば、適当な副業をやればいいのではないでしょうか。

シュティルナーは餓死しています。」というくだりで想起したのが、バド・パウエルが栄養失調という痛ましい死を遂げた事、多くのジャズメンがヨーロッパに脱出した事等です。日本でいえば、守安祥太郎や時代はくだりますが阿部薫、批評家ですが間章の死などでしょうか。