雑感

食事をして、幾つかのことを考えた。
まず、私が性を語っても、一切色気とかセクシーさといったもの、情緒的要素がないということ。全て理詰めであり、退屈である。
次に、精神障害者当事者掲示板で、回避性人格障害(不安人格障害)と診断されたと書き込んだらレスがあって、「複雑性PTSDならカウンセリングは有効と示唆されます。」と言われたのだが、要するにトラウマ(心の傷)等多過ぎて屈折しまくりということか? 確かにそうかもしれない。もうすぐ佐々木病院でカウンセリングが受けられるので、それに期待すべきだろうか。
それから、私の欲望自体が犯罪的だということについて。私は、少年に性的欲求を抱くし、それのみならず彼らを去勢することを夢見るのだが、私の夢想は犯罪的だろうか。少年達を去勢して性奴隷にしたいという妄想は、それ自体が非倫理的だろうか。最近の都条例の非実在青少年を巡る議論についても、三十年前と違いオタクがメジャーになった今も被害者意識を持つのはおかしいという議論があるが、私の欲望はオタクの中でも更に特殊で、異常で犯罪的なのだが、こういう場合はどうなってしまうのだろうか。

フリーター労組を辞めようかと考えているが、十五年前、大学生の頃から進歩がない。私は、当時所属していた動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)を精神病が悪化して退会したのだ。今また、同じことをしようとしている。人間変わらないものだというか、自分進歩ないねーっつーか。少しは変われよ、進歩しろよと思うけど。

「同性愛者として自己実現することに失敗した」ということが人格障害(パーソナリティ障害)にも暗い影を投げかけているように思える。
これまで出会った性のパートナーの中で一人だけ、私が美しいと思う少年がいたのだが、彼は私に露骨に金銭を要求してきた。私が金を払わなかったので、彼との関係は続かなかった。そういう思い出、というかトラウマが無数にあるのだ。そして、もう三十五歳。パキシルで性欲消失。なんか存在意義そのものがないように感じる、自分。もう、若くはない。中年。なのに心はガキのままだ。