超人の悩み

17:30頃あかね到着。金勘定その他を済ませる。今は18:00。電車内でもあかねでもビル・エヴァンスのモントゥルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ演奏を聴いている。もともとこの盤は好きではなかった。どことなく凡庸なように思えたからである。しかし今日は、もう朝から4度も繰り返し聴いているのに飽きない。ようやくこの盤の魅力を発見したというか。かつての自分がこういう渋い演奏が理解できなかった餓鬼だったということか。ともあれ、今はこのビル・エヴァンス・トリオの演奏が非常に好ましく思え、気持ちがいい。

暑かったのでしばらく上半身裸でいたが、扇風機の風にあたるうちに発汗も落ち着いてきたので──今日は一昨日ほどの殺人的な暑さではない──、服を着る。しばらく客も来ないだろうから、このインターネットに繋がらないパソコンを前に、思いつくままにものを書くことにしよう。

今日S病院に通院したが、お金が勿体無いので、本当は通院を止めたい。が、仕方なく通っている。私はケチである。月3,000円の支出が惜しいのだ。しょうもないと思うが、3,000円あれば菊地成孔のCDが1枚買えるからね。菊地成孔っていえば、後藤雅洋さんのいーぐる掲示板での衝突。本人降臨して驚いたが、うまくいかなかったようだ。原因はよく分からないが…。ジャズを楽しむのみならず、ジャズで生活もしていると、いろいろ事情があるのだろう。それについては私は、全く食えてないというか、仕事になってないということだろう。自称芸音音楽アカデミー代表だが、実態はニートであるwww。

そういえば今日芸音のレッスンがあった。Sさんにウクレレと歌を教える。ウクレレでは、『薔薇が咲いた』と『大きな古時計』をやる。歌はいつも通り、『愛の讃歌』や『サン・トワ・マミー』、その他をやる。歌は母親(攝津照子)が教える。いつも見ているが、やはり私には、母親の代わりは無理だと思う。ということは、母親が倒れたら芸音も解散か。実質、もう解散しているようなものではあるのだが。

ビル・エヴァンスが『ナーディス』を弾き終わったところ。名前は失念したが、以前、或るジャズ評論家が、ビル・エヴァンスは『ナーディス』のテンポが速くなるほど駄目になっていったという議論をしていた。確かに、キャノンボール・アダレイのリーダー作での初演や、『エクスプロレイションズ』での『ナーディス』は遅い。それに比べ、このライヴ盤での『ナーディス』は速い。が、今私が聴くと、速いから駄目なのだとは思えない。それはそれで一つの個性であり、いいのではないかと思う。

そういえばいつもあかねに覗きにくる(しかし決して客にはならない)Sちゃんという創価学会員がいるが、彼はあかねが「高い」というのだ。東京の新宿区で、一番安くはチャージ200円プラスソフト150円=350円でいつまでもいられる場所が他にどこにある!? 私はあかねが高いなどというSちゃんに失笑してしまうが、彼はマジなのである。あかね界隈には本当に面白い人々が集まる。

今日はノートパソコン、マイク、ICレコーダー、デジカメ、デジタルビデオカメラ等機材を持ち込んだ。あかねの模様をポッドキャスティングしたり、Youtubeなどにアップしようと目論んでいるのだ。だが、私は機械音痴なので、誰か機械に詳しい人が来店しないと、動画のアップなどはできない。とはいえ、以前津田沼駅前でライブした時など、その模様を撮影してYoutubeにアップしたりもしたのだから、やってできないはずはないのだ。だが、日頃機械に触わっていないので、慣れていないということが大きい。

それにしても、今日は穏やかな陽気。殺人的な猛暑でもなく、雨が降るでもなく、気持ちいい。扇風機の風にあたって、快適な環境でパソコンに向かえている。

話は変わるが、私は1時間4,000字超打つことができる。だから、月産1,000枚以上というのも、あながち無理な目標ではないと思うのだ。これまで無為に過ごしていた時間を、パソコンの前で過ごせばいい。だが、昨日のインターネットラジオでも語ったが、ライターといっても「意味志向」と「無意味志向」があるように思う。今度新たにフリーター全般労働組合の執行委員長になった清水直子さんなどは明瞭に「意味志向」だ。例えば労働法について、調べて地道に書く。意味があることを書く。しかし私は、典型的な「無意味志向」である。つまり文章はパフォーマンスのようなものであり、踊りのようなものと考えているということだ。キーボードの上で指が踊る、その踊りに任せて打ち続ける──「意味内容」がどうかなど顧慮せずに──のが私の書き方の本質だ。意味がありそうなことを書いている時も実は、意味はない。端的にナンセンスである。ナンセンスでいいと思っている。意味充実は必要ないと考えている。少なくとも自分には。

母親を除けば、全世界に攝津ファンはただ一人しかいない。それが福岡在住の前田さんである。前田さんは先日芸音も訪れてくれて、一泊したのだが、私の19歳の時の小説と漫画をプレゼントした。攝津ファンなど本当に珍しい存在なので、大事にしないといけないな、と感じている。

一時的に私を支持し、後に批判に回った人なら何人かいる。鈴木健太郎吉永剛志らだ。彼らは私が柄谷行人=NAMの代弁者であった時には私を支持し、私が柄谷行人を批判するようになると私を非難するようになった。つまり彼らは抜本的な柄谷派であり、NAM派である。私は今は、徹底的にQ-NAMから絶縁したと感じている。電車の中で、私のQ-NAM批判の際自ら命を絶った京都の大学院生Yさんのことを思い返していた。Yさんは、私が殺したようなものなのか。とすれば、私はQ-NAM徹底批判をやるべきではなかったのか。そうは思わない。Yさんの突然の死は本当に予想外のアクシデントだったが、私はQ-NAM紛争を徹底的に解剖し、総括し、批判すべきであった。そして実際そうしたのである。尤もそれは私の意志が強かったからできたわけではなく、Q監査委員で「重力03」編集会議の鎌田哲哉から要求されたからやれたのだが、しかしその鎌田ともほぼ絶交状態にある。私は、何故自分が他人とうまくやれないのか、よく分からない。「重力03」に掲載するはずであった長文の原稿も、掲載拒否に遭ってしまった。私が鎌田哲哉森谷めぐみとうまくやれなかったのがいけないのだが、残念である。

約20分でこれだけ書くことができた。多量に書きさえすればいいというものではなく、書かれたものの質が問われるのは当然だが、私の自然発生的な散文として書けるのはこのようなものである。先日は猛暑にやられて、断片的に喘ぐような書き込みだったが、今日は落ち着いた天候なので落ち着いて書き込みができる。インターネットに繋がらないのも却って落ち着いて書ける条件になっていると思う。帰宅後ネットに繋いでアップするというので十分だ。

目の前の大通りは多くの人が通り過ぎていくのに、あかねに入ってくる人はいない。今日も何時間も、孤独と向き合わねばならないのだろうか。一人で客待ちをしている時、私は孤独を感じ、苦痛である。音楽を聴けるだけまだましかもしれない。この文章も、何か独り言をぶつぶつ言っているようなもので、気持ち悪いというか、他者がいないという感じがする(確かに私には、柄谷行人的な意味でも鎌田哲哉的な意味でも他者は欠けているだろう)。しかし、他者はいないといけないものなのか。別に私は独りであっても問題ない。他者と連帯したり協働することも可能だが、一人でも別に構わない。一人だから悪いとか、心淋しいということもない。例えばQueerAction8.9は参加者1人でも決行するつもりでいる。

蛭田葵のことを書こうと思う。蛭田葵はCafe dasの経営者である。蛭田葵は、私がブログで実名で彼を批判したため、検索すると引っ掛かると言って猛抗議して来、その後絶交状態になった。私が蛭田葵の店(西早稲田にある)に挨拶にいっても、ろくに応対しない。私がブログ記事を取り下げない限り、付き合わないということのようだ。しかし、蛭田葵は、Q-NAMがあった頃も、NAM解散後も、我儘で独善的であった。われわれが蛭田葵に依存していると言い、関係解消を一方的に告げたりしてきた。と思えば、彼のやっている活動(せどりなり、怪しげな自然療法、飲尿療法であったり)を強要してきたりもした。蛭田葵はアパートを所有しており、そこに集まってくるイエスマンだけに囲まれていれば幸せな人である。蛭田葵は批判に聞く耳も持たないし、自説を取り下げもしない。

蛭田葵は、NAM再建は柄谷行人でないとできない、関本洋司や私などが幾ら言っても無駄だと語っていたが、何故なのか。どうしてそう柄谷行人を特権化するのか。腹立たしい思いで思い出すのだが、Q-NAMの関係が不穏になり始めた頃、当時イモケンに住んでいたTや私が軽井沢に岡崎乾二郎を訪ねたのだが、蛭田葵はあからさまにそれに不快感を表明し、柄谷行人が名古屋で催した集会に行くべきだと主張した。実際、蛭田葵柄谷行人とその息子、それに後藤学、湯本裕和などが催した集会に参加した。それは柄谷行人らによる「Qの失敗宣言」と「新たな市民通貨L構想の表明」であった。私はLがいいとか、Lに期待したことは一度もない。しかし蛭田葵はLに幻想を抱いていた。一緒に銭湯に行った時、蛭田葵はLへの絶大な期待感を表明し、私は違和感を覚えたことがある。柄谷信者というのはこういうものなのであろうが、本当に悲しくなるくらい下らないことや馬鹿げたことがあった。

飛弾五郎、蛭田葵柳原敏夫=朽木水の3名が呼び掛けて、NAM東京の若いメンバーもLに積極的なのだということを示そうとして東京集会が早稲田大学で催されたことがある。同じ日に岡崎乾二郎は倉数茂やTらを集め、RAMRAMRAMRAMの会合を開いた。私はどちらにも参加せず、自宅で2ちゃんねるを読んでいた。私は、当時、蛭田葵に食ってかかったことがある。「誰がLなんかに協力するものか!」と。しかし蛭田葵は、Lに協力する若者がたくさんいると主張した。今書いていても腹立たしいが、そういう現実があったのだ。NAMを支えたのは、東京集会の発起人3人や京都の登記班(茨木彩、後藤学、西原ミミ)、それに福西広和吉永剛志など根っからの狂信的な柄谷信者(彼・彼女らは口先では「自分は狂信的な柄谷信者ではない」と言うが、柄谷行人の明瞭な失敗や罪を根本的・徹底的に認め、批判し、絶縁することは決してしないのである。吉永剛志は、柄谷行人がやったような「ちゃぶ台返し」は「普通やらない」ことだからいい、などと言っていたが、常人にできないことでも悪は悪であり、罪は罪なのである。何故そのことを率直に認めないのか。柄谷行人を肯定し支持し続けるのか)。私はそのことを思い出すたびに、激昂し、何とも言いようのない憤懣に襲われる。柄谷行人がやったのは、自分が築いたものを自分で全てぶち壊しにするといった幼児的な退行行為である。彼はQ-NAMを自ら創設し、そしてぶち壊した。ただそれだけだ。端的に無意味である。その無意味性と悪を何故認めないのか。何故柄谷行人を擁護するのか。私には全く理解できない。

それからTにしても、私がブログで「イモケン学派の問い」を公表し実名で彼を批判したからだろうが、現在絶交状態にある。彼は岡崎乾二郎のBゼミの生徒Mと結婚し、子どもも生まれたが、私に何の連絡もしてこないし、私からお祝いのメールを送っても返答もない。それは私の批判に対し、絶交で答えたということだろう。同じことは京都大学の人文研にいる王寺賢太に関しても言える。私がRAMのMLで彼の言動の一貫性のなさ(柄谷行人を原則的に批判したかと思えば、柄谷行人がNAM退会を表明するやいなや自らの「官僚主義」的体質を自己批判して柄谷行人を慰留するといったような)を批判して以降、彼は私を無視している。しかし私の言説は真っ当であり、常識的な当然のことを述べているまでだ。Q-NAM会員はその現実から目を背けているだけなのだ。

元NAMセンター事務局長・杉原正浩にせよ、柄谷行人批判、NAM批判を公にするといいながら、もう何年もやっていない。それは怠慢であり、非難されて然るべきだろう。何事も適切な時機というものがある。Q-NAM批判は「今」決行せねばならぬのだ。でなければいつやるというのか。いつまでも続く先延ばしの中で、無為と怠惰が正当化され、Q-NAMに関わる悪行は忘却の彼方へ追いやられていく。それでいいのか。Q-NAMにおいて生じたことを忘却していいのか。私は忘却と風化を断固として拒否する。Q-NAMにおいて生じたもろもろの滑稽と悲惨は無駄に忘れ去られて良いことではない。反面教師的な意味でであれ、常に参照されるべき事柄だ。その意味で私は、「重力03」を全面的に支持する。

話は変わるが、今あかねの良いオーディオ・システムで数時間前に届いたばかりの菊地成孔の新作を聴いている。ビル・エヴァンスが終わったので。何と批評していいか分からないが、ともあれ音の流れに身を委ねてみよう。ジャズらしいジャズだ。ジャズらしくないジャズといえば、らじろぐ登録の、「東京12ちゃんねる」(私はらじろぐで偶然知ったが、どのくらい認知されているのだろう、世の中的には?)がすぐ思いつく。ポストモダン・ジャズを標榜する菊地成孔であるが、私の耳には彼(彼ら)の音は端的にモダンに聴こえる。それは古いという意味ではない。きびきびし、無駄がないという意味である。フレーズにキレの良さと鋭さがあり、間然としないという意味である。

それにしてもQ-NAMのことを語り出すと止まらないし、凄く荒廃した気持ちになってくる。非常に荒涼としている感じがする。不毛の上に不毛を積み重ね、不和の上に不和を積み重ねていくような、穴を掘ってはまた埋める作業の繰り返し的な無意味感というか。私のような無意味志向の人だからこそできることであって、意味にこだわる人ならこの作業の不毛さ、無意味さには耐えられないと思う。が、私は不毛でも無意味でも、荒涼としようと、断固批判を貫徹すべしと思っている。

だが百万言を費やしてQ-NAMを批判するより、楽器を演奏するほうが遥かに必要だし楽しいことだとも思える。私のピアノは三流以下かもしれない。だが、NAM談義をするより、三流の音楽を演奏するほうがましかもしれない。NAMは無意味どころかマイナスそのものだ。恥辱である。NAM体験を語ることはマゾヒスティックな経験である。自分の裡なる恥辱を掘り起こすような作業だ。だが私は、Q-NAM会員はその作業をしたほうがいいと思う。自分にとって「あの体験」は何だったのか、きちんと整理しておくべきだと思うのだ。

右肩というか、胸の辺りまで延びている手術の傷口がじくじく傷む。化膿してきているのではないか、と不安だ。次の通院は一週間後。それまでもつのか。大丈夫なのか、自分。

菊地成孔の新作(前作もだが)誰かに似ていると思ったら、マイルス・デイヴィスの第二期黄金クィンテットに似ているように思う。ハービー・ハンコックウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムズらが在籍したあのクィンテット。『ネフィルティティ』とか。テンポというかタイム感が似ているような「気がする」のである。私はジャズ評論家ではないから、正確なことは分からないが……。

それにしても客来ないなwww。現在、19:17。一昨日は20:30にようやく一人来た。今日もそんな調子だろうか。待つしかない身としては辛いものがある。

こんなに客来ないのによくあかね潰れないなー。不思議だよな。木曜日金曜日で客集めてるってこと? 月曜日水曜日は本当に客が少ないのだが……。これも私が人望がないせいだろう。ま、私には究極Q太郎ペペ長谷川の代わりはできないな。私は私。スターではない。実務派でもない。単なる無為無能の人。ダメナ人。あかねだからまだ居場所があるのであって、普通のバイトだったらとっくにクビ間違いなし。

だけどあかねに入ってからもう5年以上経つんだね。長いね……。最初は杉田俊介、栗原信義と究極Q太郎の自宅アパートを訪れインタビューしたことがきっかけだった。当時無職でひきこもっていると私が話すと、究極がではあかね当番でもやってみたらと誘ってくれたのである。以来、関わり方の濃淡はあれ、私はあかねに関わり続けてきた。イヴェントを打った日もあった。常連さんとまったり交流した晩もあった。いろんな夜があったさ。今日はどんな夜になるんだろう。やはり何か予想外の出会いに期待してしまう。それでもないと、あかねに来る意味ないというか。わざわざ2時間掛けて千葉県から早稲田まで出てくる意味ないというか。でも私は無為無意味の人だからそれでもいいのである。無為無意味に徹することができれば仙人だと思うが、私はまだそこまで悟りを開いているわけではない。やはり無為無意味だと退屈してしまう。自宅店舗であるCafe LETSでやっている、「無為トシテノ革命 革命トシテノ無為」企画にせよ、無為無意味過ぎて自分で自分に退屈するというか、自家中毒的になってしまう。一銭にもならず、ただ店を開けて客を待つだけというのは辛いものである。それでもあかねはまだ東京だからいいさ。Cafe LETSなんて千葉の片田舎だぜ。やってけるわけないじゃん。無理を承知でやってんだ。造反無理。

夢を語れば、本当は東京のどこかのジャズバーで、ピアノを弾いて糊口を凌ぐ生活がしたいな。でも、店の探し方からしてよく分からないんだ。一回市川あたりに面接に行って落ちた。東京にはもっと一杯店あるだろうが、どこに行けばいいのやら……。まるで分からない。ジャズ雑誌買ったほうがいいのか。中高生の時代に自分で自分を売り込んだ矢野沙織は偉いよなあ。私には真似できないよー。

あ、そうだ。あかねでライブを始めようか。でも一回やって失敗してるんだよな。またやって客来なかったら淋しいよな。重いキーボード抱えてきて、客0人だったら辛いよ。でもしょうがないさ。やってみようか。来週。

19:30、くまごろうさん来店。ソフトがないので、柿ピーを注文する。利用者くまごろうさんだけだったら赤字だよー。困る。どーすりゃいーのさ。