関西旅行顛末記

13日夜、東京発の夜行バスで出発。翌14日早朝、岡山着。『重力』編集会議の鎌田哲哉さん・森谷めぐみさんとお会いする。歓待され、とても感謝。ネットラジオも試してみた。鎌田さんと森谷さんには、公正への志向と誠実さを感じるので、その点はプラスに捉えている。私は柄谷マンセーから鎌田マンセーに転向したわけではない。私は私であり、自分としての主体的な判断を貫いている。冷徹で公正なものの見方が出来ている、と思う。いや、そう言ってしまうと思い上がりか。冷徹で公正たろうとしている、そう努めている、と言い直すべきだろう。

15日、京都に向かう。プロジェクトQの屋嘉比優子さんとお会いし、意見交換する。皇室に関することを除いて、基本的に意見が一致した。愉しい交流が出来た。その後、京都★ヘンナニジイロ祭の前夜祭に参加。ブブさんという方のセックスワーカーについてのお話をうかがう。

16日、祭の初日だ。多くのクィア映画を見て、私も創ってみたいな、と思う。

17日、祭の前に、杉原正浩さんとお会いし、お話する。が、全く意見の一致を見なかった。杉原さんは、私が現在熱心に進めているプレカリアートの運動に全く理解がないようなのだ。杉原さんの言葉で印象に残ったのは、新古典派経済学が「科学」なのでそれを尊重しなければならないこと、(科)学者が運動のリーダーになるべきこと、生活困窮者の救済は新古典派の理論に従えば国家がやるべきことであること、自分の理論は価値形態論から出てきていること、だった。私はそれら全てに異議がある。現在、新自由主義経済学がイデオロギーとして世界全体を席捲し、多くの人々に甚大な被害を齎している事実をどう考えるのか。生活困窮者を国家が救うどころか切り捨てている現状をどう批判し、どう変えるのか。杉原さんは、自分の言い方では貴方のやろうとしている運動は「障害者」運動なのでしょう、とも言った。私は障害者に偏見はないし、自分自身精神障害者でもある。だが、杉原さんのこの言い方には腹が立った。私達がプレカリアートとして打ち出している問題性は、一部の特権的な支配層を除き、大多数の人達が直面している「現実」なのだ。特殊な人達の問題などではない。そうしたことが理解されなかったことに、悲しみと憤りを覚えた。

18日、祭の最終日。とても良い映画を観た。韓国の映画で、僕と人形遊び?とかいうタイトルのもので、叙情的で胸に沁みるものがあった。祭の後の交流会で、多くの人達と歓談する。

19日、NAMの人達(Qの登記人など)とお会いし、意見交換する。率直な意見交換が出来て、それはそれで良かったのだが、私としては今後の運動をどう創っていくかというテーマを追求したかったので、その点では不満が残った。過去の経緯や怨恨にいつまでも囚われるのではなく、未来志向の実践、安倍や石原など右翼ファシストをどうにかするような対抗運動を構築していきたい。

ちょっと厭なことがあった。会合の途中に屋嘉比優子さんが宿泊場所の鍵を取りに見えたのだが、私の友達は「攝津さんの彼女?」とか言って囃し立てたのだ。屋嘉比さんも不快感を表明していたが、私も驚き、且つ不快だった。Queer Radical、性的少数者のイベントに来ていると承知の上のはずなのに、どうして典型的な男女のみで世界が構成されていることを前提にした強制異性愛丸出しの発言になるのか、理解出来ない。まあ世間はそういうものなのだろう。だが、社会運動をやろうというくらいの人であれば、少し配慮して欲しかった。

NAMの人達の話で違和感を覚えたのは、自分達が「大衆」で「被害者」だという認識でいること、自分達が正しいことをしたと考えていること、柄谷行人への批判や自己批判が全くないこと、Qが流通しないことを口実に自分達の相対的な優位を確認しようとしているようにみえること、だ。それは私には倫理的頽廃に見える。まず、彼・彼女らは「大衆」ではない。インテリであり知識層である。それに、純粋な被害者であると本当に言えるのか。彼・彼女らには登記人を辞める自由もあったはずだ。QやQ会員のことを思って、というのは理由にならない。彼・彼女らの振る舞いによって、Qは決定的な打撃を蒙ったのではなかったか。

NAMの人達の発言で私に印象の残り、且つ厭だなと思ったのは、自分は柄谷行人がうまくいかないだろうと予想し、柄谷行人一人に恥を掻かせたくないという動機からNAMに参加した、と強調する人がいたことだ。どんな動機からNAMに入ろうと自由ではあるのだが、国家と資本に対抗する社会運動をやろうと思ってNAMに来たのではなかったの? と問い返したくなる。

Qがうまくいっていないというのは事実のようだ。だが、それを高みから嗤うことにどれだけの意味があるか。むしろ自分自身の実践や生活が問われるのではないか。地域通貨であれ他のものであれ、貴方はどんな実践をやっているのか、ということが問われるように思う。他者のことを口実に、自分の実践が貧しいことを言い逃れるというのは倫理的頽廃だ。

19日の夜行バスに乗り、20日新宿着。長い長い旅行でした。愉しい旅を共にしてくれた皆さんに、感謝感激雨あられ!

京都★ヘンナニジイロ祭
http://kyoto-henna.org/