倫理?

ガタリがわれわれに語っていたのは、西洋では新しいものではないかと私には思える。それは存在論的な責任というテーマであるが、これはけっして他者と向き合う個人状の主体が持つべき責任ではない。そうではなくて、われわれ自身の行為に対する、われわれ自身の実践に対する、われわれ自身の進み方に対する、われわれ自身がどのようなものになるかということに対する、われわれ自身の責任なのである。ガタリと私が言う意味の存在論的な責任は、個人の自由の周りに位置づけられるものではなく、また人間の権利を持つ主体、自分で決定する主体に関わるものでもなく、われわれの選択によって何ごとが生じてくるかということに関するものなのである。

イザベル・スタンジェール(科学哲学者)