無題

 起床後、藤井郷子ポール・ブレイの『サムシング・アバウト・ウォーター』を聴く。先ほど終わり、2枚目はレッド・ガーランドの『リヴィジテッド!』(1957年録音)を選ぶ。昨日の安保法制反対の「総がかり行動」の報告や感想をネットで読んで胸が悪くなるが、この昂奮昂揚を眺めるにつけ根本的にどうかしている、狂っている、レギオンでありレミングであり、暴走する自称正義感でありモッブ、群集なのではないかとしか思えない。心底ぞっとするというか、放射能被曝恐怖症ヒステリーキチガイや経済政策一知半解カルトに賛成できなくても、戦争に反対するというくらいでは賛成したいと思っても、いや実はそんなことは思わないが、それさえもできかねる。眺めれば眺めるほど拒絶感が際限なく強まる。インターネットにおいてもリアルにおいてもである。
 思えば散々な目に遭ってきた。被害者意識や弱者ポジションを強調する意図で申し上げているわけではない。事実を率直に申し上げているだけだが、冷房の設定温度からなんと《マンゴー・ジュース》のことまでもあげつらわれた。15年間発言を秋葉原の7万のパソコンのExcelファイルかなにかに保存されてことあるごとに揶揄された。リアルでも不審な人物に続々来訪され、会員やご近所や、さらには義兄や親戚の名前や住所(もちろん、そんなものはネットに書いたおぼえはない)にいたるまで曝露された。そうして、そんなことをやってなんの実りがあったのかは存じ上げないが、攝津のルーツを探るとか探らないと別府まで出向いた暇人もいたようである。 ── こうしたすべてのことは異常である。異常であると申し上げるしかないが、ぼくももう40歳、これまでの人生の後半、50%。20年くらいの何やらかにやらでうっかりかかわってきたりすれ違ってきたことがすべてマイナスに働いているようである。それはまさに「うっかり」とか非本質的とか遺憾と申し上げるほかないものだが、今後はそういう「うっかり」は絶対ないようにしたいし、むしろとことん反対派に廻る。社共をはじめ革新・進歩系の政党や市民派候補には投票しないし、デモや集会のたぐいにも足を向けることはない。インターネットなどで「意思表示」や署名もしない。 ── 善意や正義感など、本当にロクでもないものである。じつにくだらないし有害だ。他人のことはほっとけということだし、その野蛮で社会を変えられても第三者も迷惑である。アベノミクスは失敗だったとか成果をあげなかったと白石氏のような左翼は喧伝しているが、野党や批判勢力に経済についてのまともな考え方を読んだことは一度もない。むしろ、暮らしを良くしたいといえば経済動物であるとか、エゴイズムであるとか、むしろ「友達づくり」が大事などの眼を疑うほかないようなどうしようもない蒙昧ばかり読まされてきたのである。そのようなカルトキチガイな「なかま」や『20世紀少年』ふうの「ともだち」などただの一人も要らない。むしろ根本的に絶対的に有害だ。そんなものはカルトだ。それ以外のものではない。絶対にない。
 例えば、金融や信用を見直そうとか、見直すくらいなら結構だがロスチャとか、我々の銀行預金や郵便貯金ガーとかいう話も米国債一斉売却論も、何もかもひとつもすこしも信用していない。不信感のほかなにもなく、そんなことで世の中を変えるな、このクソデマゴーグども、という感想しかない。キチガイカルト勘違い活動家のくせにベートーヴェンがどうしたなどと音楽や何かのことを語るなという広島の某やどこぞの整体院のかつてのaml常連であるとか、「けがらわしい」の一言だ。おまえらにはなにも語る資格はない。このカルト。カルトキチガイどもが。

無題

 アルゲリッチ独奏のラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30を聴く。指揮:リッカルド・シャイー、ベルリン放送交響楽団。1982年のライヴ録音である。バッハからラフマニノフへと節操がないなと自分でも苦笑するが、先ほどのは針を「通す」ではなく「落とす」じゃないとおかしいよな、とここでもまた苦笑い。

特に理由もなくーーないと思うのだがーー鬱々として何もやる気が起きず、冷房を最低温度の17度で入れた自室で終日ごろごろしていた。たまに居間に猫を眺めに行った。だがまあそれくらいで自宅から一歩も出ずにのんびりしていた。久しぶりにゆったり時間を取ってネットサーフィンーーといっても特に調べたいものがあるわけでもない。理由がある、ないといってもやはり折れている右手は痛くて不自由だからーー激痛はないが動かすと痛むし、添え木だかも重い。それから腕だけでなく数日来腰痛にも悩まされている。頭痛。眼精疲労。胸のむかつき。動悸息切れ。ーーやはりKindle電子書籍を含む本の読み過ぎ、iPhoneでのインターネットのし過ぎなのだろうか。怪我と酷暑猛暑で外出がままならないしまた片手ではピアノも弾きづらいから致し方がないけれどもーー。

読書といっても漫画が多かったが、『北斗の拳』のパロディーや二次創作を読み込んでいたがこれが滅法面白い。これでKindleの味をしめて漫画に限らず無料試供品や廉価なものを中心に読み漁った。失われた20年どころか30年の迷誤や不必要な廻り道を脱して、古本屋巡りに没頭していた頃の気持ち、童心に還って。それ以上どうやって童心に還るんだい?という茶々は止めてもらいたいが、要するに自分の本質、本来の性格にそぐわない要素を削ぎ落としていくとそうなるので、「私は、本に還る」という昔の新潮文庫のコピーのようなものであろう。

余計な御世話だとは思うが、右手を痛めているのにどうやって本を読んだり文章を書いているのか? という人もいるので説明しておくと、iPhoneの操作は基本左手だけでできるし、右手だって添え木で固定されてはいるが全く動かないわけではない。有線、無線のキーボードを使って両手で書いていたりもする。思うような速度が出ないのは残念だが、それは怪我もあるしやむを得ないであろう。

話は変わるが、iPhoneのストレージ容量とやらの関係でアプリをTwitterなどさえ含めてほとんどすべて削除して非常に快適である。こうやって使うものなのかと思ったが。

ノー・モア・ティアーズ

マル・ウォルドロンがビリー・ホリディに捧げた『ノー・モア・ティアーズ』、小曽根真ゲイリー・バートンのデュオ『ヴァーチュオーシ』を聴く。この記事を書くために「はまぞう」で検索したところ、スティーヴ・レイシーとマルの共演で同名のアルバムがあるが、それとは異なりトリオ演奏のようだ。冒頭一曲目は「イエスタデイズ」だが、プレスティッジ盤『マル-1』の複数のホーンが入った重厚な演奏、そうして当時(56年前後?)から既にはっきりあらわれていた「モールス信号」ふうソロを想い出す。聴き比べるのも一興。小曽根/バートンの名人芸も深夜に愉しい。

読書としては一昨日仕事の前に読んだボアローナルスジャック三輪秀彦訳『影の顔』(ハヤカワ・ミステリ文庫)がなかなかに面白かった。交通事故で失明した電気会社の社長の不安を描いたサスペンスだが。今朝は(通読ではないが)『地球最後の砦』というSF小説を少し読んだ。

No More Tears

No More Tears

地球最後の砦 (ハヤカワ文庫 SF 28)

地球最後の砦 (ハヤカワ文庫 SF 28)

党勢衰退主義者の日常

このところブログを更新したい話題がない。あまり読書もしてないし、構想もないし。ああしたい、こうしたいということもなく。完全オフ(でもないが)の水曜日、マック行こうかと思ったがやはりやめてお風呂を沸かす。YouTubeの「後で見る」が2000弱溜まっていて、iPhoneアプリでは220個までしか表示されず面倒くさいので、再生時間の短いものから「移動1」という再生リストに移して整理している。iPhoneのマップで明日からの臨時の仕事、東初富5丁目の場所を確認した。それとは別の仕事も入ってきて、多忙な週末になりそうな予感。

統制主義者の唯物論(失笑)史観

代々木の日共方面のクズどものクチグセは「進歩ないねえ」、「まだそういうところを卒業できないんですか」、「人間的成長」、ナンタラカタラとかいう戯言ですが、そういう愚言をいわゆるヘサや社民党のエラいひとたちにも向けているのをネットでたまに見掛ける。わたしはそのいずれにも当てはまらないわけですが、まあ、末端のゴミクズのくせに生意気なね。

なんらの実証もなく末端、または党員党友でさえない周辺の金魚のフンと断定したが、木っ端役人ほど態度が尊大で横柄でエラソーだってのは古今東西、思想イデオロギーの左右を問わず普遍的な真実ですよ。そういうことってよく観察、体験しませんか? オレはよくあるねえ。っていうか、Cさんとかそういう幹部そのものが裏や蔭ではこんな下劣なこと匿名で書いてたらイヤだろ(笑)。オレはそこまで他人様のことは悪く思わないが、幹部・上層部の暢気な「ディーセント」が不満で気に食わない末端が独断で暴走するってのも、あらゆる組織に共通していることなのさ。わかったかい? バカ番。

150 :革命的名無しさん:2014/10/26(日) 05:47:33.82 >>149
ブタダシからの返答。おーこわこわ。進歩ないねえ。怒り心頭でウンコと脂肪が脳に回って早死にしないでください。

@ブタツ
君たちは自分の誹謗に論理性あると勘違いしてるみたいだが、俺は生涯死ぬまで君たちを撃ち続けるのでそのつもりで。選挙楽しみだなw http://instagram.com/p/ulmQSoCOWn/


14/10/26 04:37
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